公益社団法人 日本技術士会北海道本部


第70回工業技術研究会
日時 平成10年2月5日(木)午後2時〜5時
場所 札幌市厚別区厚別中央1条5丁目4番1号
   北海道開発コンサルタント(株) 会議室

出席者数  名
情報交換
講演 ”電磁波は人体に影響を与えるか”
     北海道工業大学教養部生物学研究室
        教授 医学博士 木村  主幸 氏

<要旨>
はじめに
一昨年ごろから、携帯電話の急速な普及とこれに伴うアンテナ設備の市街地への建設、欧米から電磁場と発癌との因果関係に関する報道などが引き金となり、電磁波や電磁場の人体影響に関する議論が活発に行われるようになりました。特に、携帯電話から発せられる電磁波により脳腫瘍の発病率が有為に増加するなどのセンセーショナルな報道から、アンテナ建設に反対する住民運動が増加するなど、電磁波が人体にとって有害であるような認識が急速に広がったような気がします。さて、はたして電磁波は本当にわれわれにとって危険なものなのでしょうか?携帯電話を使用していると脳神経系に障害が起きるのでしょうか?今回は、この話題を軸に日常われわれが接するいろいろの電磁波(電磁場)に関して、人体との関係からお話をしてみたいと考えております。
ただし、あらかじめお断りしておかなければならないことがあります。それは、今回この機会を与えられました私が、電磁波の専門家ではないということです。お話の前に、私の簡単な紹介があると思いますが、私の専門は微生物学です。具体的には、腸管感染症を引き起こす細菌の病態病理が専門です。平たく言いますと、食中毒を起こす細菌がどのようにして我々に下痢や腹痛を引き起こすかに関して仕事をしてまいりました。8年ほど前、現在の工業大学に移りましたことを契機に、本学の電波・電子の専門家とともに、電磁波の生体影響を検討する仕事を始めました。このような経緯でお分かりのように、各方面の専門家集団である技術士会の方々に私のようなものが稚拙なお話をしてもと躊躇いたしましたが、素人なりに何かお役に立てるようなお話が出来るように準備することも勉強と思い、お聞きいただく皆さんへの非礼を省みずお引き受けした次第です。
このような点をお含みおきくださり、お聞きいただければ幸いです。

電磁波の定義
真空または物質中を電界と磁界の振動が伝播する波動現象を電磁波といいます。電磁波のパラメーターは、波長・周波数・光量子エネルギーそして温度の4つの条件で定義されます。これらの関係は、以下のように考えることが出来ます。すなわち、波長が短くなると周波数は高くなり、それだけ電磁波のもつ運動エネルギーは大きくなりこれに伴い温度も上昇します。たとえば、波長が100nmより短い電磁波を電離放射線と呼び、これよりも長いものを非電離放射線と呼んでいます。波長が1nm以下の電磁波はX線で、これよりも波長が長いもので波長300nm(0.3ミクロン)前後までを紫外線と呼んでいます。この波長帯から更に長くなると我々にとってはおなじみの可視光線(いわゆる光)となり、この範囲は波長700nm(0.7ミクロン)までとなります。
これよりも長い波長帯の電磁波は更に赤外線となり、波長が1mm以上になるといわゆる電波となります。ちなみに、波長1mmの電磁波の周波数は300GHzでこれよりも波長が長くなるにしたがって周波数は減少していきます。たとえば、家庭用に利用されている電子レンジに使用しているマイクロ波の周波数は、2.45GHzでこの電磁波の波長は約10cmとなります。また、携帯電話などで使用している電波の周波数帯は、800MHzから1GHzですから、波長はおおよそ10から20センチメートルということになります。
さて、電磁波の範囲が非常に広いことがお判りいただけたでしょうか。単純に考えて電磁波の範囲は波長で1nmから1mmまでとしてもその差は、10億倍となります。これを光量子の運動エネルギーから見た温度におきかえますと、X線の温度は約15万℃であるのに対して、無線周波数帯の電波つまり300GHz以下の電波ではこの温度が、−260℃ということになります。蛇足ですが、我々の体温37℃(300K)と同じ程度の電磁波は、波長が48ミクロンであり、この波長帯の電磁波は遠赤外線と呼ばれています。

電磁波の生体影響
電磁波を受けた人体が示す反応は、電磁波が持つ特性から2つに分けて考える必要があります。つまり、電磁波は粒子性と波動性の二つの面をあわせ持ちます。このうち、粒子性は、エネルギーの大きな電離放射線などが示す反応で、電波は波動性がその作用の中心になると考えてよいと思います。なお、光はこの二つの面を同時に持っていると考えていいでしょう。
ここで、電波の生体への影響を考えると波動性に起因した生体反応には、周波数に応じて発熱作用と刺激作用があると考えられます。発熱作用は、周波数が100KHz以上の電波で良く見られ、ジュール熱として知られています。2.45GHzのマイクロ波を利用した電子レンジが食品の加熱に利用されているのは良く知られています。また、周波数が100KHzよりも小さくなると、電流による直接刺激が考えられます。現在、電波の安全基準の基礎となっているのは、このうちの発熱作用で我が国や欧米諸国では、これを基に安全基準を策定しています。
電波による生体の発熱は、被爆した生体の誘電率により様々な値をとります。ここで、我々人体は、電気的に非常に複雑な誘導体であるために、電波を浴びたとしても、体内の発熱の分布は様々な様相を呈します。そこで、ラットを用いた実験で全吸収電力値(吸収した電気エネルギーの時間率)が体重1kgあたり4から8Wの電波で、ラットが可逆的に行動分裂を起こすこと、ならびにこの値が電波の周波数や偏波、動物種に依存しない事から、この値を安全基準の基礎としています。

電磁波の安全基準
先に述べましたように、電磁波の安全基準は暴露を受けた生物体がその体内で発生する発熱量を基準に作成しています。基礎代謝量BMR;Basal Metabolic Rate は、いろいろの動物の体重あたりの代謝量を熱量で示したもので W/kgで示します。ヒトのBMRは、安静時のそれを示し、10から70kgの体重でおおよそ1から3W/kgとなります。この値は、ヒトが生命を維持するために必要な最低限の熱量を示しています。電磁波による人体の発熱量を考えた場合、このBMRと同程度の熱量が発生すると、何らかの障害が生じる可能性があると考え、この値を人体の場合には安全の基準としています。体重1kgあたりの電磁波の吸収電力を比吸収率SAR;Specific Absorption Rate と呼び、これの全身平均値を電磁波による発熱量の尺度として使用しています。
人体に対する電磁波の生体影響の閾値は、全身平均SARで4〜8W/kgと見積もられています。この値の10分の1が世界的な安全基準の基本値として用いられており、 具体的には6分間あたりの全身平均SARが0.4W/kgを超えないようにと考えられて安全基準値が設定されています。
 
電波の人体影響
いわゆる商用周波数帯の電波が人体に与える影響は、二つの効果を想定しています。つまり、これまで述べてきた安全基準の基礎となった、電波暴露による体内発熱に起因する影響と発熱を誘起しない程度の電波による刺激を中心とした非熱影響の二つです。
熱影響に関しては、これまでにも多くの報告や実験成績があります。たとえば、眼球に対する白内障の誘発や全身暴露による情緒不安定などがあります。これに対して、非熱影響に関しては、良く判っていないのが現状です。おそらく分子レベルでの発熱に伴う何がしかの影響があることは推定されていますが、再現性の問題や評価の仕方などで異なる意見が存在しているのが実状です。
私どもの研究室では前任の島工大名誉教授が、ショウジョウバエを利用したマイクロ波の遺伝毒性を調査しております。その結果、低レベルでのマイクロ波照射では、影響が認められないものの、大電力のマイクロ波を照射した場合には、催奇性が観察されています。この点についての因果関係はいまだ明確ではありませんが、多分体内加熱に伴う遺伝毒性があるものと考えられると思います。また、私自身は、以前ヒトの培養細胞を用いて比較的高周波のマイクロ波暴露による影響を検討したことがあります。この実験では、マイクロ波照射を受けた細胞が膨化する現象が認められ、電子顕微鏡の観察結果では細胞の膨張に伴って細胞膜に亀裂が生じていることが判りました。その後、ショウジョウバエのさなぎを使い、先ほどと同様のマイクロ波を照射した場合の影響を観察しましたが、さなぎの体内に存在する遊離性の蛋白質が一過性に構造蛋白と親和性を持つ現象を見出しています。この現象が生体にとってどのような影響を示すのかは分かりませんが、少なくともノーマルな状態ではないことから、何らかの悪影響になるのではないかと考えています。

磁場(磁界)の生体影響
ここでお話を磁場の生体影響に向けてみたいと思います。はじめに述べたように、電波は磁界と電界の変化であることからも判るように、これらは三位一体のものと考えてもよいと思われます。
さて、磁場も最近我々の周囲にさまざまな形で存在するようになりました。特に家庭に各種の電化製品が見られるようになってから、我々は知らないうちにたくさんの磁場に曝されるようになりました。このようなことから、80年代以降非常に多くの磁場の生体影響に関する報告が提出されています。磁場は、極性の変化しない静磁場と極性が変化する変動磁場の2種類があります。このうち、我々が日常接するのは各種の電気機器から発生する変動磁場です。特に商用の周波数帯である50から60Hzの極低周波数(ELF ; Extremely Low Frequency)の変動磁場は、モーターを使用している電気機器のほとんどから発生しますし、いまこうして向かっているコンピュータのディスプレイからも一定の磁場が発生しています。
このように我々の周囲に数多く存在するようになった磁場ですが、はたして人体に何らかの影響を与えるのでしょうか?ここでも、生体影響の有り無しはさまざまの形で報告され、その結論は出ていません。
私どもの研究室では、現在も磁場の生体影響に関する実験を継続調査しておりますので、その一端をご紹介します。まず、極性変化のない静磁場の生体影響ですが、一般に静磁場はほとんど人体に影響がないと考えられています。ただし、この見解は従来我々が接することのなかった超強力磁場にも当てはまるかどうかは判っていません。私は、これまでに450mT(ミリテスラ:4500ガウス)の静磁場を実験的な感染系に照射してその影響を観察してまいりました。その結果、感染の初期段階である、標的細胞への細菌の付着が磁場暴露により有為に増加する現象をつかんでおります。この原因は、どうも磁場暴露が直接細胞や細菌に影響を与えるのではなく、培養液内に存在する細胞や細菌の運動に磁場暴露によるローレンツ力が働き、細菌の運動を物理的に抑制するために生じるのではと考えております。また、同じような実験をウイルスを利用して行った結果、こちらの場合はウイルスの感染価が減少しました。一見すると、磁場に暴露されると、細菌の感染症には罹りやすくなり、ウイルスの感染には罹りにくくなるような結果ですが、ウイルス感染の場合は、磁場暴露を受けた細胞が、こうウイルス因子の誘導を行っているようなふしがあり、だとするとやはり静磁場暴露は細胞に対して一種のストレスを与えることになります。このあたりに関しては、因果関係やメカニズムの解析が難しくなかなか進まないのが現状ですが、多少詳しくお話したいと考えております。
次に、極性の変化する変動磁場のほうですが、こちらに関しては人体に対してさまざまな影響があることが報告されています。良く知られているのは、変動磁場が脳下垂体近傍の松果体に影響を与えて、メラトニンの分泌抑制を誘発することです。メラトニンは、生体時計のリズムを刻むことに関係する一種のホルモンですが、変動磁場はこの体内時計や他様々な生理現象に影響を与えることが知られています。私たちの研究室では、金魚を使ってELF変動磁場の影響を観察しています。その結果、金魚の行動に変動磁場が影響することならびに金魚の体色を変化させることを見出してきました。また、これらの原因の一つが、メラトニンばかりではなく変動磁場により誘発される誘導電流による可能性を指摘しています。

むすび
電波並びに磁場を中心としてその生体影響を簡単にお話してまいりましたが、結論から言えばこれらが生体に影響を与えることは確かなものの実際には現実で我々が接触する程度のものであればその影響は非常に小さく、それがすぐさま我々の健康を脅かすものになるとは考えにくいということになります。しかし、だからといってこれらがすぐさま安全であると断言は出来ません。電波に関しては、人体側にホットスポットを生じる可能性が指摘され、これにより低出力の電波でも生体に大きな影響を及ぼす可能性が懸念されています。また、磁場にしても変動磁場の長期間暴露によりいわゆる不定愁訴の発現が懸念されています。また、これらの物理因子が今後ますます大きなパワーで我々と接触することは確実です。したがって今後もより多くの実験データーの蓄積と検証が続けられる必要があることを述べておきたいと思います。
以上、簡単にですが今回お話する内容の概要を述べさせていただきました。はたして、興味を引いて頂くことが出来るものを提供できるかどうか若干不安ではありますが、お聞きいただければ幸いと考えております。