第78回工業技術研究会
日時 平成11年9月2日(木)午後3時〜5時半
場所 札幌市厚別区厚別中央1条5丁目4番1号
北海道開発コンサルタント(株) 会議室
出席者数 名
情報交換
講演 ”磯焼けと深層水について”
技 術 士(水産部門) 吉野大仁 氏
<概要>
北海道の南部日本海沿岸の岩礁地帯は、岩肌が石灰藻に覆われ海藻が生育できない「海の砂漠」状態になっており、この現象を「磯焼け」と呼んでいる。また、毎年春になると日本海沿岸を賑わせたニシンの来襲も1954年を最後にやって来なくなった。コンブに卵を産み付けるニシンは、その産卵場であるコンブが海底から消滅してしまった海には戻ってこないのも当然のことである。
ここでは、この「磯焼け」現象についての考察を行うとともに、「磯焼け」の解消になる可能性も含んでいる今話題の深層水について述べる。
1 磯焼
1−1磯焼けとは
「磯焼け」という言葉は、海藻学の権威である遠藤吉三郎教授(1902)が、静岡県伊豆東海岸のテングサ漁場の荒廃を見て、それを表現する言葉として使ったことに始まる。もともとは伊豆地方の漁民の言葉で「磯焼け」とも「磯枯れ」とも言ったという。
遠藤博士は、「ある特別な沿岸の一地域を限って、そこに産する海藻の全部または一部が枯死して不毛となり、有用海藻はもちろん、これを餌とするアワビ、磯付き魚などの収穫を減じ、あるいはこれを失い、そのため漁村が疲弊すること。」と磯焼を定義した。一般に磯焼けとは、海藻の繁茂していた岩礁地帯が、何らかの原因でその海藻が枯死・消滅し、それに替わって石灰藻と呼ばれる紅藻類サンゴモ科エゾイソゴロモに海底が占有されて、岩盤が白色または黄色・ピンク色を呈する現象をいう。
1−2磯焼けの原因について
磯焼けの原因は、海況異変説、淡水注入説、河川氾濫説、栄養塩不足説、異常気象説、水質汚染説、森林伐採説、藻食動物説などがあるが、このような諸説がある理由は、依然として磯焼けの発生原因が解明されていないためであり、北海道で磯焼けが確認されてから40年以上が経過しているにも関わらず、未だに発生原因を究明するに至っていないのが現状である。
1−3海水の成分
植物プランクトンや海藻類が栄養塩(硝酸塩)を体内に取り込む場合には、先に鉄を取り込まなければならない。これは体内に硝酸塩を取り込む際にはこれを還元しなければならず、そのためには硝酸還元酵素が必要となる。鉄はこの酵素に大きく関与している。この他にも光合成をする生物にはクロロフィルなどの光合成色素が不可欠であり、これらの生合成に鉄は極めて大きく関与しており、鉄なしではこれらの色素は生合成されないのである。
1−4植物プランクトンの発生と鉄イオン
コンブなどの海藻は、葉から栄養素を吸収している。海水中では、鉄以外の元素や化合物ははすべて水に溶けたイオンであり、イオンは細胞膜を容易に通過する。
鉄は植物プランクトン、海藻類に不可欠な元素でありながら、大部分は細胞膜を通過できない大きな粒子である。しかし、OH基と結合した極微量の鉄イオンが存在する。このイオンを植物プランクトンを海藻類は取り込んでいるのであるが、これだけでは十分な量とはいえない。
海の光合成生物に影響を与える鉄の供給源は実は山に存在するのである。
腐食土層において、部分的に枯れ葉などの分解で酸素が消費され、無酸素部位がでる。酸素のない状況では鉄はイオンとして存在する。一方、腐食土層において枯れ葉が分解されるとき、完全に分解されてしまうと二酸化炭素と水になるが、通常はバクテリアが分解しきれない有機物が残り、化学的、微生物的変化を受けた腐食物質が生成される。腐食物質は水に溶けるフルボ酸と水に溶けないフミン酸に分けられる。フルボ酸はカルボキシル基やカルボニル基などを有しており、鉄など多くの金属を結びつける機能がある。無酸素部位で生成した鉄イオンはこのフルボ酸と結合するのである。フルボ酸と結合した鉄は森林から河川へ運ばれるが、河川では空気、すなわち酸素と触れることになり、鉄イオンは鉄粒子に変わるが、フルボ酸鉄は一度結合してしまうと極めて安定しているため、鉄粒子に変わることなく鉄イオンの形で海に到達する。
実験によるとフルボ酸鉄は枯れ葉が最も生成する能力が高く、腐植土もフルボ酸鉄を生成する能力を有するほか、牛のふん尿もフルボ酸鉄を生成することがわかっている。
1−5森と海の関係
300年前のえりも岬は広葉樹の原生林で覆われていたが、その後燃料として森林が伐採され、さらに放牧地の開拓などにより森林が失われ、また草地も家畜の過放牧や風や雨の浸蝕により年々荒廃が進すみ、これにつれて土砂が流出し、沿岸の根付魚をはじめ回遊魚もそこを回避するようになり漁獲量は減少の一途をたどり、コンブなどの海藻も岩盤が泥で覆われ根腐れを起こして採れなくなってしまい、かつての好漁場が消滅してしまった。
しかし、昭和28年に浦河営林署に「えりも治山事業所」が新設され、緑化の第一歩を踏み出し事業は困難を極めたものの、草本緑化は昭和45年に完了し、木本緑化も昭和29年から実施し平成4年には砂漠化した約70%に当たる131ヘクタールの森林がよみがえっている。
1−6磯焼けの海をよみがえらすために
日本海の磯焼け地帯を見ると、一面石灰藻に覆われている「海の砂漠」であっても河口付近には海藻が繁茂している個所がある。河川流量の差によってその範囲は異なるが河川水の流入している個所には海藻が生育しているのである。
このことからも、腐植土から流出したフルボ酸鉄が植物プランクトンや海藻を繁殖させていることがわかる。古い時代には、河川ばかりでなく小さな沢水がいたるるところから海に流れ込んでほぼ海岸線を覆い尽くしてきた。しかし、海岸線に道路が建設されたことにより、沢水はある程度集積されて一個所から海に流されるようになったことも、磯焼けの進行を助長しているのかもしれない。また、砂防ダムが土砂ばかりでなく、フルボ酸鉄を含む河川水までも止めてしまっている。「森林を伐採するから土砂が流出し、その土砂を止めるために砂防ダムを建設する。」という悪循環があるのではないだろうか。
日本海の磯焼けは、日本海の栄養塩が少ないこと、河川の鉄濃度が低いことなどから発生しているものと考えられる。一度、石灰藻に覆われた岩肌は栄養塩や鉄イオンの供給がいくら豊富にあっても、新たにコンブなどの海藻が繁茂できない。ここにコンブを生育させるためには、コンブが根を着底させることができる新しい基質(自然石やブロック)が必要となる。しかし、広大な海の底に新しい基質を投入して行くには多大な費用が必要である。
近年、魚の餌や卵を産み付ける海藻地帯を造成する藻場造成技術が着目されている。
2 深層水
2−1深層水とは
太陽光線の届かない深さの海水のことをいい、一般には水深200m以深の海水である。太陽光線の届く範囲の水深を『有光層』といい、植物プランクトンが増えるためには太陽光が必要であり、光合成に利用される光が届く範囲は外洋でも水深100mが限度である。全世界の海洋の平均水深は3,800mといわれており、地球上の海水の約95%が深層水と考えられる。数百年から2,000年をサイクルとして表層水と循環している。
3.5%の塩分を含む海水は、冷却されればされるほど密度はどんどん大きくなり、対流が続き、マイナス1.9℃程度で結氷する。一方、淡水は4℃で最大密度になり、それよりも温度が下がると軽くなってしまう。これが淡水と海水の大きな違いである。冬期間海水は対流することにより亜寒帯や寒帯では表層から下層まで均一に混合される。対流深度は北へ向かうほど理論的には深くなる。
大西洋グリーンランド近くでは冬期間の海水密度は極めて大きくなる。海水が蒸発すると塩分は海水に残ることから表面の海水の塩分濃度は高くなると同時に、海水温が低くなるため、重くなった表層海水は下に沈む。この密度の大きい表層の海水は水深4,000m付近まで潜り、赤道を越えて南下して南極海の深層水と一部混合し、今度は北上する。その一部はインド洋に向け、残りは年間4mの速さで表層に上昇しながら太平洋を北上するのである。なお、数千メートルまで表層水が潜るのは、グリーンランドと南極だけである。これは、他の寒帯域では河川水の流入、降雨、降雪によって表層水の塩分は希釈されてしまうため、冷却されても表層水の密度が大きくならないためである。大西洋で潜った海水は平均1,000年かかって北緯50度付近で表層に出てくる。
2−2湧昇流
深層水の活用が考えられるようなった背景には湧昇流の存在がある
海には、深層水が自然に海面までわき上がっている湧昇域がある。この湧昇域の面積は、海全体の広さの0.1%しかないにもかかわらず、全魚種の50%が湧昇域で育っているのである。これは、湧昇流の持つ豊富な栄養塩が魚の餌になる植物プランクトンを大量に発生させるためである。
2−3深層水の特性
深層水の特性としては、以下の三項目が挙げられる。
@低温安定性: 低温で安定しており、四季を通じてほとんど変化しない。
A富栄養性: 表層水の何倍もの栄養塩を含んでいる。
B清浄性: 水温が低いため、バクテリア等の雑菌がほとんど含まれていない。
また、ミネラル分が豊富である。
2−4深層水の利用分野
深層水の利用は、今後の科学的研究により拡大していくことが予想されているが、現時点において利用段階に入っている分野は次のとおりである。
水産分野 : 魚介類の増養殖や種苗生産 海藻類の栽培 浅海域の富栄養化(磯焼け対策)
食品分野 : 衛生環境の改善 飲料水、酒、醤油、豆腐、味噌、製氷、ビール
健康分野 : 海水療法(アトピー性皮膚炎の治療) 入浴剤、、化粧品
農業分野 : ホウレン草などの発芽促進 ハウス栽培の冷房 脱塩による農業肥料としての利用
エネルギー分野 : 表層水との温度差による発電
その他 : 希少海水溶存金属の回収、エアコン利用
2−5水産における利用可能分野
(1)魚介類の増養殖や種苗生産
生け簀内に飼育している魚介類を栄養塩豊かな深層水で飼育することにより、魚体の大きなものを出荷することができるとともに、『深層水飼育魚』という地域ブランドを付けることで地域のイメージアップを図ることができる。
ウニやヒラメの種苗生産や中間育成に使用することで、成長の促進および魚病発生の減少に有効である。
(2)海藻類の栽培
海藻類は植物プランクトンと同様に食物連鎖の中では一次生産者であり、海藻類の豊かな海は海中林と呼ばれ、魚介類の豊かな海である。この海藻類も栄養塩と太陽光により増殖していることから、深層水を用いて海中林の造成を行う。
(3)浅海域の富栄養化
浅海域の富栄養化も海中林を造成することで解消される。しかし、海底の岩礁や岩盤に張り付いた石灰藻による磯焼けは海域が深層水によって富栄養化しても、新しい基質を投入しなければならない。すなわち、岩盤に現在生息している石灰藻は海が富栄養となっても死滅することはなく、コンブなどの海藻類が着底できる新しい基質がなければ磯焼けは解消できない。
2−6深層水利用の問題点
十年ほど前から深層水に着目した高知県では一日千トンを汲み上げ、脱塩してミネラルウォーターや日本酒を造るなど食品加工だけで40を越える企業が利用している。しかし、多くの研究者は「深層水の性質は未解明だ」としており、以下のような問題点が指摘されている。
(1)汲み過ぎによる環境への影響
海水の95%が深層水であるが、深層水の汲み過ぎによって地球規模の循環に影響を及ぼす恐れがないがあるのかもしれない。
(2)利用後の深層水の周辺海域に及ぼす影響
利用した後の深層水をそのまま海域に放出することによって、周辺海域の生態系に影響を及ぼす恐れがあるかもしれない。
このように深層水の利用については、これまで人類が経験したことのない全く未知の問題を抱えているのかもしれない。地球上の海水の95%が深層水であり、それの極わずかな量を取水しても、また海水を海に戻しても影響などないのかもしれない。しかし、これらのことは誰もわからないことであり、影響がないことを証明できないのが現状である。また、深層水には表層水より多くの二酸化炭素を固定する能力を持っている。深層水の利用が地球温暖化を防止する有効な手段となり得る可能性もあり、こうしたことがらを踏まえて、深層水を利用することとも深層水についての研究を進めていくことが重要である。
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